絵画の見方!楽しく絵画観賞する為のコツについて!!
こんにちは、シンプルに生きたい油絵×心像画家の中西宇仁です^^
今回は、絵画とは肩書やブランドで観るのではなく
作品を1つの” 個 ” として観た方が純粋に楽しめるよ♪
というお話をしていこうかと思います。
絵画の価値は、有名どころではなくその世界の中にある
これは、絵を描く側・観賞する側
双方に共通することなので順を追って読んでみてください^^
【 表現に答えはない 】
絵には、アートには明確な答えはありません。
数学、歴史、座学の類には答えがありますが
この表現の世界では、こうでなければならないという答えはありません。
まず、それを先にお伝えします。
それと同時に、絵画には上も下もありません。
子供が描いた絵であろうがどこかの先生が描いた絵であろうが
障がい者が描いた絵であろうが総理大臣が描いた絵であろうが
立ち位置は変わりないです。
仕事で言えば上司がいて部下がいるわけですが
それは、役割を分けないと仕事が整理されないから分けているに過ぎません。
役職のような肩書きで言えば、
「 〇〇賞受賞作品 」
のように公募展や推挙などにより何かしらの賞を受賞する作品もありますが
受賞したからといって、無名の絵より上ということにもなりません。
受賞することを否定しているわけではなく、
それぞれの作品は対等である、ということです。
僕も今まで公募展やアートコンペのようなコンクールや評論家からの推挙により
入選や受賞をしたことはありますが、
だからといって、自分の身になにか起こるわけでもありません^^;
(美術協会の公募展なら入会資格を得る、団体によっては賞金が出る、
腕試し、といったことならあります)
それは、作品自体に影響が出るわけではなく描き手の環境に影響します。
(作品がレベルアップして立体的になるなら面白いですが^^;)
もし作品が意識を持っていたら
「 受賞したからなに? 何かアタシに良いことあるの? 」
と、反応するのかな~と。
もし、答えがあるとするのならそれは、
人が勝手に定義したものに過ぎないということ。
人の定義とは、絶対ではありません。
ならば、その定義に惑わされずに、
” 自分が信じる表現をする自分を信じる ”
事こそが答えなのではないでしょうか!!
【 批判されても 】
他の作家さんのつぶやきを見るとよく見かけるのが
「 その描き方は〇〇ではない 」
人っぽくない、猫っぽくない等
それらしくない、と批判されるケースが悲しい事にあります。
他の記事でも触れていますがこの手の意見は、何を求めているのでしょうね。
仕事を依頼しているクライアントでもないし流派に沿った意見でもないし。
作家さんが何か悪いことをしているわけでもない。
直接関わっているわけでもないし損害を与えているわけでもないわけですよ。
では、なぜ気にするのか?というと、
それは、嫉妬からくるものではないかと僕は考えています。
お金持ちの姿を見て、「 お金が沢山あって良いなぁ 」
と羨ましいと思うのと同時に
「 なんて贅沢な暮らしをしているんだ・・・」と妬みの感情が湧き上がる。
それとは反対に、自分は注目されないのになんであの人はいつも注目されているんだろう・・・
と自分に自信がなく、輝いている人に理想を浮かべるという事も少なからずあるかと思います。
そうなると、同じ土台に立っていて自分より高い位置にいる人を引きずり降ろそうとします。
( 陰口が一般的ですね。ある人の陰口でそうですよね?と振ってくるように )
そういう類にいちいち耳を傾ける必要はありません。
足を掴まれそうになったら立ち止まらず歩み続ければ離れていきます。
批判は、観る側が抱く憧れから生まれる嫉妬という事。
ある意味、否定するということは貴方の作品を褒めていると言っているようなものなので
言われて苦しんでいるのであれば、そういうことですよ^^
【 鑑賞基準 】
絵画を観る際に、基準となるものがあります。
大きく分けて 「 技術的要素 ・ 直観性 」
絵画は、必ずしも感性のみで観るとは限らず絵の具や筆の使い方、
描写力など論理的に評価を受ける場合があります。
特に公募展のように審査が必要となる場面では、評価する為の根拠として
画材の使い方も判断基準の1つになります。
僕が今までの経験の中で見出した考えと観賞された方のご感想などをまとめた記事がございますので
こちらも合わせてご覧ください^^
→【絵画】絵の上手い/下手 の違いとは?心像画家が教えるすごいと感じる作品とは!?
【 観る側の意識 】
今までの流れの中で表現に答えはない事をお話しました。
この記事の中で一番お話したいことになります。
作品を観る時には、直感的に観る場合と参考知識を得て観る場合とで
観方を変えることができます。
ただ、それ以前に大切な事は
” 純粋に作品を観る ”
ということです。
肩書きのお話をしました。
人は、肩書きのようなブランドに弱い面があります。
”
有名人が描いた絵だから
活躍している先生の作品だから
お偉いさんが所有している作品だから
昔の偉人が残した作品だから
”
のように、作品が主役ではなく描き手や所有者のブランドが先行している実情があります。
(提供元が悪いということではなく観る側の意識としてです)
入口が全て同じではありませんが
このような飾り付けから入るケースもあるということです。
僕は、この実情について多少なりとも危機感を感じています。
その危機感とは、
” 意識することをやめてしまっている ”
ということです。
話しは変わり、昔話になりますがお茶を飲みながら読んでください。
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僕が子供の頃は、今の様に誰もが携帯電話や多種多様なゲームはまだありませんでした。
スーパーファミコン世代です。
(個人的には、ファミコンやメガドライブに触れたこともあります)
当時の遊びはアナログが平均的でした。
学校が終わったら友達と集まって近くの公園へ集合。
遊具もシンプルなものしかなかったのでその辺の枝や空き缶など
落ちているものを使って、自分たちで工夫して遊んでいました。
球技も、グランドが無ければ石ころを使って枠を書いてその中で遊んでいました。
自分達で ” 考えて ” 遊びを発展させていったんですよね。
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話しは、この記事に戻りますが
僕が抱いている危機感とは、 ” 思考停止 ”
作品を認識する場合、その作品の中身ではなくブランドのような外観から入る傾向が世にはあります。
認識する対象に対し、観る側はただ受け取るだけ。
受取った物が煌びやかで豪華な見た目であれば
「 これは、高級品かな!? 」 と、考える事を止めてしまいます。
そこで止まってしまうと、表面的なものにしか触れることができなくなります。
僕は美術館やギャラリーで作品を観る時は、
タイトルや作品情報を見ません。
空っぽの状態から最初に入れるものは、「 作品 」 にしています。
例えれば、新品なスポンジですね。
吸収されていないスポンジに作品を吸わせるわけです。
そして、その作品を観続ける事で ” 観慣れ ” が生まれてきます。
その作品は、どのような性格なのかな?
どんな意味があるのかな?
どんな想いが込められているのかな?
など、作品の世界観や描く人の姿までが想像されてきます。
明るい場所から暗い場所へ移ると、最初は視界が暗く周りが見えなくなりますが
時間の経過と共に目も慣れてきてすこしずつ様子が見えてくるのと同じです。
” 肉眼なら目、 絵画やアートを観るなら心の眼 ”
その経過を経て、作品の情報となるタイトルや説明文、作者のプロフィールを見る事で同じ作品でも
また別の観方ができるようになります^^
これは、直感的にうったえる抽象画や物語の内容を事前に知ってから楽しめるみる宗教画など
ジャンル関係ない共通した視点になると考えています。
物語を知らなくても絵画の世界にいる登場人物は、どんな気持ちなのかな?
など、想いを巡らせる事ができるわけです。
このように観る側が想像できる作品を作るには、描き手が表現したい世界をしっかり見据える事が大事です。
人に何か言葉で伝える時も、自分で理解していないといざ相手に説明する時にうまく伝える事ができなくなるのと一緒です。
表現したいものが見えていればそれは、観る側に伝わります。
100人中、100人全てに伝わらなくともそのうちの何人かに伝わるならそれは拍手ものです!!!
絵描き手とは、孤独なものです。
自分が表現したいものを追求するとその分、理解されない事もあります。
時には悲しい事を言われることもあるでしょう。
それでも追い求めていくことで見えてくるものはあります。
生みの苦しみは、その作家にしかわかりません。
だからこそ、その苦しみを乗り越えた時に表現力は更なる高みへと昇ってゆきます。
僕も生みの辛さを何度も味わってきています。
もう、この苦しみとは死ぬまで付き合うのだと受け入れています。
一人で描く事が辛くなったら僕に声をかけてください^^
責めることも強要することもしませんし、したくもありません。
話すことでほどけ洗い出るものはあります。
独特な表現の世界を楽しみましょう♪
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