2021-11-16

西洋絵画の成り立ち 表現の変化・起源から~その1

こんばんは、変化は生きる糧。
油絵×心像画家の中西宇仁です^^

絵画は、最初から絵画という形を持っていたわけではありません。

表現というものは、その時代に住む人たちの意識が反映され具現化されてきました。

今回は、絵画の原点である洞窟画からどのように表現のスタイルが変わってきたのか?

その第1弾をお話していこうと思います^^

【 絵画が生まれる前: アートの起源 】

絵画の起源は、旧石器時代に残された壁画とされています。
( 原始人の時代ですね )

” 原始美術 ” 

と言われるのですが、
当時の生活が垣間見れる遺物を総称した呼び方です。

アートの原点とされる壁画は、フランスにある
クニャック洞窟に描かれた動物の壁画やスペインの、
ラス・チメネアス洞窟の壁画などがあります。

他にも人の体をモチーフにした壁画もあり子孫繁栄を祈願する為の
” 宗教的な意味 ” が込められていたのではという推察があります。

現代だと神社へ参拝に行くとお願い事をしますがその手段の1つで絵馬がありますね。

原始人も神様にお願いする為に絵馬のように自分たちの様子を描いて
メッセージを送っていたのかもしれませんね^^

人類の文明はさらに進みあらゆる形があらわれてきます。

【 絵画が生まれる前: 彫刻で生命感を 】

石器時代に入ると土器が生み出されました。

器の表面に模様が描かれるようになります。

恐らく人類が初めてデザインを意識した瞬間と言えるのではないでしょうか!?

絵画歴史の中で大きな影響を与えたのが、

” ギリシア美術 ”

と言われています。

西欧米を統一したローマ。

建築や土木技術、水路など大規模な技術と発展を成し遂げた大帝国ですが
そんなローマ人も

「 美術だけはギリシャに勝てない 」

と、認めるほどの表現がギリシア美術です。

ギリシア美術のすごいとされている特徴の1つに

肉体美の表現があります。

●ニッコリ笑顔でアルカイック期

当時の土器には模様だけでなく人の姿や戦う様子などが描かれるものが数多くあり
ました。

また、岩を使った彫刻技術にも優れており
筋肉や骨格など、体の表現だけでなく笑顔や哀愁ただよう心情をわかりやすく
表現されていました。

「 笑顔をメイン 」にした彫刻表現がされていた時代を

” アルカイック期(紀元前700-480) ”

と呼びます。

ぎこちなさを残しながらも生命感を表すために笑顔を浮かべる象が特徴です。

もっとまとめると、生命感を出すには笑顔でしか表せなかったということですね。

また、この表情だけが笑顔で体はタンパクなつくりの目的として、

王族の権威を示す為にも用いられていました。

エジプトでおなじみの画像の象ですが、
神殿やお墓にも適用されていました。

●笑顔が消えたクラシック期

この時期に入ると解剖学が進み人の体について、理解が深まってきます。

姿勢や立ち方など重心を中心として自然なポーズをとるだけで人の体を表現する
ことができるようになってきたわけですね。

ポーズをとることで体全体の均衡バランスが保たれる為、表情ではなく前進で
生命感を表すことができるようになりました。

その為、アルカイック期とは異なり笑顔がなくなり無表情になったわけです。

●動きまくるヘレニズム期

この時代に入ると人々の関心は神中心の理想主義から人間中心の現実主義
個人主義へ変わっていきました。

個人が楽しめるものとして、表情や動きを同時に取り入れた彫刻表現となります。

このようにアートの起源である洞窟画から文明が進み土器が発明されました。
その器に模様だけでなく人の姿が入った表現に変わりました。

そこから表現スタイルは、彫刻という造形物に変わります。

絵画の形になるのはまだ先ですが物事には、始まりがありその先へと繋がります。

その関係に触れることで、アートという抽象的な存在がなぜあり続けるのか?

知るきっかけになれたらと思います^^

【 西洋絵画の歴史: 肉体美から救いを求める美へ 】

上記で、彫刻は人の生命感を表す手段とされていたとお伝えしました。

その後、ローマ帝国の政情不安により国民の不安・不満は高まります。

当時、神様の加護は王様や貴族にしか得られないと考えられていました。

「 私の言葉は神の言葉だ。 逆らうという事は神に逆らうことだ 」

と国民たちは抑えらえれていたわけです。

初代ローマ皇帝アウグストゥスの像

そんな毎日生きていて辛い中で救いとなり広まったのが
” キリスト教 ” 

です。

キリスト教は、ローマ帝国内へ徐々に広がっていきます。

それまでギリシアやローマで表現されていた人間の肉体美など、
現実的な美術に代わり

救いや来世的なものを人々が求めるようになり美術も、
救世が求められる表現へ変わっていきます。

昔の神様は皇帝やお偉いさんしか見てくれなかったのですが、
キリスト教は国民すべてを見てくれたので広まったのかな?

と思います^^

肉体美の表現で彫刻が活用され、その人の権威を示す美術から
救いの美に変わりますがこの時期を、

「 キリスト教美術 」

と呼びます。

しかし、社会は簡単にキリスト教を認めようとはしません。

キリスト教が正式に公認されていない時期は、ひっそりと地下室などで密会が行われ
崇拝されていました。

313年のミラノ寛容令によりキリスト教が公認されると布教活動が開始されました。

教会堂の壁や天井などに聖書の場面が描かれるようになります。

この時代から長く信仰をモチーフにした表現が続いていきます。

ここまでの流れとしては、

①アートの起源は洞窟で生活様式を描いた洞窟画

②彫刻を用いて人の肉体美と感情を表現
 王族の権威を示す看板としての役割も担っていた

③救いを求めるようになり信仰へと表現が変わる
 お偉いさんばかりが神の加護を得るのはずるい!
 という事で国民も救われたいと意識が変わっていく

キリスト教の布教活動が開始されると協会組織は信者を募りたいので
” 宣伝 ” をする必要がでてくるのですが

その宣伝の役割として、宗教画が広まりをみせます。

時代毎に人々が求めるものに合わせ、美術スタイルが変わってきているということですね。

ということで次回は、信仰心をとらえた宗教表現の話をしていこうと思います!!

タグ: ,
関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA